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「響」というキャラクターはすでに私の中にあった。 XPとは実在する病理症状であり、この世に存在するものだ。 人間が活動する基本となっている太陽の下で生きられない存在。 最も闇に近いもの、だがその心はなんら我々と変わりはない。 あるTV番組で、XP患者のドキュメントの放送を見た。 その子供たちは幼く、太陽のしたほかの子供たちのように、元気に走り回りたいのだが体がそれを許すはずも無い。 子供たちは「宇宙服」のような衣類をまとい紫外線から身を守っていた。 そんな子供たちのことを親はこう語った。 「周りの子供たちよりちょっとだけ不自由さはあるかもしれないけど、あとはなにも違わない。 むしろ、この子達は人より絶対強く生きて行ける」 この言葉に、私は涙を流さずにいられなかった。 すべての人間は、強くもあり、弱くもある。 だが、子を思う親の気持ちだけはこの世の何者にも負けない。 そう思わせてくれた一場面より、私の「PTSD2」の執筆が始まった。 「PTSD」とは、用語集を見た方や医学の心得が多少ある方なら分かると思うが、 「心的外傷後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder)」のことである。 私が訳したのは、(Psycho Traumatic System Day Dream)略してPTSD2としている。 人間の恐怖をつかさどるのは、やはり人間の感情だ。 なにが恐怖か、なにがホラーかと感じるのは、人それぞれなだけに、各シーンごとにちりばめなければならない恐怖には、正直苦戦した。 たんに霊がいる、見えないものが見えるだけでは、日常生活にある恐怖は見えてこない。 まして「笑い」と「恐怖」と言う「両極」にあるものを組み合わせるというのは至難の業だった。 日常にある恐怖、犯罪という名の恐怖、見えない恐怖、そして自念の恐怖たくさんの恐怖を組み合わせた結果、このような物語ができたわけである。 舞台を通して思ったことだが、誰にでも恐怖はあるが危機感は無いとおもう。 それが忍び寄ってきているのが分からないだけで、この世にはたくさんの恐怖が毎日数万生まれているはずだ。 犯罪にしても犯罪者がその恐怖を行動するときに感じていれば、犯罪は起こらないのかもしれない。 死んでいったものたちの魂を直感できる能力があれば、故意に命を奪わずすむのかもしれない。 恐怖とはすなわち「未来を感じる危険信号」だと私は感じた。 私たちの生きる世界が現実の物語とするなら、この作品はその物語の断片なのだと私は思う。 雨宮 冬眞 |